男からすれば別段、眠るどころか目を瞑る気も無い問い掛けの主題であったが、そもそも夜であるのならば彼はそう簡単に眠る事はしないだろう。
死はどの様なものか……と問われたとて、男の表情は特別変わった事は無いようにも感じられる。
別に死は特別なものという訳では無いと考えている様だが……そういった問い掛けを嫌う存在もいるのだろう。現代でも"死にたくない"と非現実的な延命を希望する者も存在している程だ。それに対しての男は"出来る範囲での患者の希望する延命処置"(その治療法)を施す他無いのだろう。結局の所医者側が治療法を提案し、患者がそれに同意する形となっているのが基本であるが。
しかしそれは、患者を実験材料として見る医者という立場から見れば、好都合であるものなのだとも言える。男もそれに該当すると言うのだろうか?少なくとも彼に自覚がなければ、こちら側には知る術等無いのだろうが。
死は基本的に現世に生きる存在全てに平等に訪れるものであり、同時に逃れる事の出来ないものと考えられている。
だからこそ、ある程度の知能のある存在はかつて"不老不死"を求めたと、今まで伝えられてきたのではないか。その末路は……わざわざ説明せずともわかるだろう。

「……昔から"生者必滅"という言葉がございます」

「生きとし生けるものは、いつか必ず滅び、死を迎えると。自国ではそう説かれております。それは天地万象……それに該当すると言っても過言では無いとも見られますが」
これこそが世の理、とでも言うのだろうか?尤も、この長い歴史の中で姿を完全に変えずに存在している生物など、ほんのひと握りだろう。
現在まで生き続けている、存在している生物は居ると言われている事は確かではある。しかし、それ自体は言い伝え等の話でしか確認する事は不可能と言えよう。
それは例え、生死の概念が存在しないものであろうと形あるものはいずれ壊れゆく……それが早いか遅いかの違いでしかないのだろう。
その中で人間は必死に"生きていた"という功績を歴史に刻みながら生きているのかもしれない。それがどんなに醜く感じようとも、どれだけ争いを生んだとしてもだろう。

「ですが余程の大罪人でない限りは、死は遺された者達により悼まれるものなのだろうと思います。尤も、悼む様な人間がどこかしらに存在すればの話なのでしょうし、悼み続ける事が死者にとって良い事とは到底思えませんが」
弔いという行為は人間が介入する事で儀式として成り立つのだろう。しかしそれは生者の五感にしか映ることはなく、死者にとっては意味を成さないものと見れるのかもしれない。死人に口なし……よく言ったものだ。
しかしその行為自体が無駄とも誰一人言えやしないのだろう。それは男も例外ではないのかもしれない。