先程の問い掛けの回答には、質問者は何とも思わなかったのだろうか?即座に次の問い掛けが投げ掛けられる。
質問者の回答は笛吹きと言うには、と言った回答だった。新しい曲に皆を出会わせる……それだけなら十分に自らを信用していれば子供でも可能だろう。何を以て新しい曲となるかは個々によるだろうが。
さて、この男は眠っているかのように熟考している。まるで人生で考えた事すらないとも感じているのだろう。男にとってこれは興味の無いもの、の一つの様だ。ここに来てからこの手の問い掛けが割とあり、こうなると事前に考えようが無い。
この男が医者を目指していた時はどうだったのだろうか。それこそ、彼は口を割る事を現段階ではしないのだろうが。
回答はどちらつかずだが疑問はある。男は疑問を交え回答する。

「どちらとも思わないと答えておきましょう。他人の事であるならともかく、自分自身を信用するとは?
それにそれを話したとて、目的が何か分からない様な方々にそう易々と答えを出したいと思う人間ばかりだと思いますか?」
自らの事を信用している、もしくはその逆だから何だと言うのか?他人に答えた所で何があるのだと言うのか?以前のある問い掛けと同じく、口にしたら自身を縛る枷となるものでは無いのか?ひょっとすると他者までも……いや、これは言わなくていいものだろう。
しかし男の疑問は尽きない。

「自らをいくら信用していても結果が出せなければ、何もならないのでは?それとも貴方は自らを信用しているのであれば、結果は必ず現れると思われているのでしょうか?」
いくら自分自身を信用すれども、結果を見せる事が出来なければ意味は無いと見なされる可能性が高く、この世は結果というものが全てとして見る場が多い。自身を信用するだけでどうにかなるとは到底思えなければ、それだけで結果は必ず現れるという程現実は甘くはないだろう。

「……結果を残せるか、と言う理由でどのくらい自分自身を信用出来るかを考えたとしても回答は同じです。
……易々と口にするものではない」
言葉とは時に人を救うものとなる反面、凶器にもなりうる。男はそれを重きに置いているのかもしれない。
口は災いの元、とはよく言ったものだ。

「ですが貴方のように覚悟を決めて他者に答えていらっしゃる方は、それはそれで別に構わないのではないかと思います。……面倒事に巻き込まれない限りは私は何も悪くは思いませんよ」
先程の綺麗事を語っている時の反応にも似ていたが、それ以上に穏やかな表情を見せていた。