どうやらこの問い掛けも、終わりに近づいているらしい。男はあまりそれには関心を持っていない様だった。
最後の問い掛け……そこでは"自ら"と言うもの前提であるという事だ。他者の評価や価値観は関係なしに見るものとすべきか。

「何をもって自らの存在価値の有無……ですか」

「疑問なのですが、存在価値と言うものがどうかを容易く口にするものでも無いのでは?」
第一声位は問い掛けに対し疑問を口にする事をしない様にしていた。先程の問にも口が滑りそうになったのを止めた位だ。
しかし、さすがにこの問はそうはいかなかったらしい。

「口にするだけなら簡単です。言語をある程度理解している存在なら、定義は様々であれ価値の有無くらいは誰だって言えるのではないかと思います」

「……しかしそれを口にした途端、その回答は真実だと言えるのでしょうか?疑わずにこの先を生きていけるのでしょうか?他人に価値が無いと言われても揺らがない自信はあるのでしょうか?」
口に出す事だけなら確かに簡単だろう。しかしそこから先は何がある?疑問や疑惑しか浮かばないのではないか?本当にそれを以ての価値があるのか、そもそも自らの価値とは何か?
ましてや、そこまで考える人間はいないとでも言うのか?そうであると言うのならば、人間は考える事を大方放棄しているのではないか?
もし揺らぐのであれば、人間というものは何に対しても"維持"というものが苦手なのかもしれない。長い年月という壁はあまりにも大きすぎるのが原因なのかもしれないが。

「存在価値をその時答えられたとしても、あるきっかけで、そんなものは簡単に揺らいでしまうでしょう。それも一度だけではなく、この先幾度も対面する揺らぎ一つで人は簡単に迷いを見せてしまう……その可能性は大いにありうるものです」
人間とは簡単に揺らぐ生き物だ。それは少しの予想外で起こりうる可能性がある。故に、我々が思っているよりも脆い生き物なのかもしれない。

「大体、存在価値を決め、口にした所でそれが結果として自らを縛る枷となってしまったのだとすれば、その時点で自由は奪われてしまうのではありませんか?」
先程出題された問の中にも出ていた"自由"。
それを第一に思っているの者であれば"自らの存在価値"がここで枷となる可能性が出てきたという事だ。
最も、それを別物と考える方が本来の考えなのかもしれないが。

「……私はこの回答を口にするという事は、意味を成さないと思っております。なので何ともお答え致しません。そもそも、こうして問われるまでそんなものを考えた事すらなかったのですから、自らが何をもって存在する価値があるか、なんて興味はなかったのでしょうね」
それを口に出さず内在的なものとして心に持ち合わせるのであれば良いと判断したのだろうか?そうであれば、揺らぐ心配も口に出すよりかは減るのだろう。
本当に男の中にはそれが存在していない可能性の方が高いかもしれないが。

「あったとしても、答えが変わる事はありませんが」
結局の所、回答を出さない事だけは確実の様だ。
いつか男の中で、そして回答として判明する日が来るのだろうか?
……もしくは彼のその言動の中に回答が眠っているのかもしれない。