──行き倒れていました。
ええ。初めから行き倒れスタートです。こいつはびっくりかもしれません。
私が朝、外の掃除のために箒を振り回して出たならば。
そこに転がっていたのは男でした。
ええ、男が転がっていました。
ダンゴムシよろしく転がっていました。
──行き倒れスタートです。よーいどんといたしましょう。
こう言った事件性の感じられる始まりの時は、いつだってこのように声高くいうが決まりです。
「
ぎゃあ!」
ぎゃふん。
言わされた気分です。箒も落として芸術点高めで参りましょう。
点数は私が10000000000点つけています。間違いない。
そんな演出を施したところで、現実に立ち返りましょう。
うーん。成人男性。
行き倒れの割には立派な体格を持ち。
行き倒れのように汚れていました。
顔を眺めれば、髭でモサモサ、髪もボサボサ。
不審者がそこらへんで死んだのでしょう。
…
「
店前で死なれちゃお店の評判に関わります」
なんてこったい。ただでさえ人のこない店なんだぞ。
しかもこういう時に限って父親はグースカアルコールと深く眠りについてノックダウンなのです。なんてこったい。天丼は好かれません。
ですからとりあえず、箒を持ち直しました。
それを振り上げれば、軽くしばき上げてみます。
嘘です。軽く叩くくらいの空でした。
箒から、ぺしぺしと軽い音が何度か響いた頃。
「………」
ぱち、とその男は目を覚ますのでした。
すんだ青い目。なかなか綺麗なものですね。
私の青い目の方が澄んでいて綺麗ですが…
その目がこちらを薄ぼんやりと見つめてきたので、どうも、と箒を下げればご挨拶をかまします。
ファーストインパクトが大事。そうでしょう?
あれ、コンタクトですっけ。まあいいでしょう。
「Hello、ヒューマン」
ご挨拶をぶちかましました。過去形です。
言の葉は既に放たれているのですから、過去形です。
とにかく、ひととき青い目通しはかち合います。
これが目の前の人がロマンス受け付けそうな方であるのなら、きっとトキメキの一目惚れが起きていたのでしょうが。
何せ行き倒れです。
口遊んだのは現実的なセリフです。
「………」
「水…………」
いいえ。テンプレート。実につまらないセリフでした。
◆
さて遭難者に水を与えれば、それはもう水を得たように元気100倍となりました。
嘘です。
とりあえず動けるようにはなりました。
飲ませるだけではなく頭から水をぶっかけましたが。
これ森から汲んできてるんですよね。
何てこったい。重労働が増えました。
しかし人っこ1人救えたならプライスレスでしょう。
仕方がないのでこちらはサービスです。
背が大きいとは思っていましたが、立ち上がった髭もじゃおじさんは、やっぱり背が大きいようでした。
鈍色の髪は汚れている上にぞうぞうとして鬱陶しい。
ついでに当然臭いです。ばっちいです。
「風呂に入っていらっしゃい」
仕方ないのでお風呂は沸かしました。
なんて親切な宿屋の女の子なんでしょう。これで明日の新刊の表紙はいただきです。
あ、そうです。そう。
ここは酒場でもありますが、昔は宿屋としても使われていたのです。
今家泊まる人もいませんが。
一応、2階部分は私が清掃しています。
さかばがさかえーる。
ためには、細やかなホスピタリティが大切なのです。
栄えてませんけど。
「……いやね、流石にお湯までもらっては」
「
しゃらっぷ」
遠慮なく入れます。パパンの許可は取りません。
取ったところで好きにすりゃいいさの一点バリバリでした。
バリってます。
ので、好きにしています。
ばっちくてぼろっちいけど、
見ちゃったんですよね、金銭の持ち合わせ。
「
後でお支払いはいただきますから」
「
お金取るんだ」
当然の話でございました。
私のタイムをとっているのです。
マニーでお返し願いたい。
困惑の声のひげもじゃおじさんはスルーします。
行き倒れ回避、利害の一致。
いえ、こちらに利害あるのみといえばいえす。
勝手なエゴイストを振りまいています。
◆
──さて。
結論から申し上げますと、
売上は出ました。
やりました。万歳。私の勝ち。
親に使ったひげもじゃおじさんはしっかりと風呂に浸かって汚れを落としたようでした。
その後の動向も観察していましたが。
食事を望まれましたのでパンの提供。
飲み物を望まれましたので水の提供。
次いだ、2日泊まるとの話で、宿泊部屋の提供。
ついでに髭はきちっと剃られたようでした。
多少は残されていましたが、顎髭です。
ひげもじゃおじさんからおじさんは進化したようです。おめでとう!
きっと清潔な未来の幕開けでしょう。
つまり大儲けでございます。
やはり人助けはいいものですね。
家の懐が潤いました。
これでパンを再び買いに行くのです。それは私用です。
しかして今はお客様がいますから。
酒場の娘、兼宿屋だった場所の娘として甲斐甲斐しく世話するのが繁盛の秘訣。
嘘です。水汲みとか手伝ってもらいました。
おじさんは案外存外優しい人でした。
息倒れていた割には呑気にしていましたし。
別に風呂に入るのも嫌いではないようです。
身なりを多少整えれば、多少普通の人に見えました。
カバンはボロボロのようでしたが。
ですから、声がかけやすいのも事実でした。
いえ、私は誰も恐れたりとかしたことないのですが。
人当たりがいいってことでした。
話すよりは、静かに過ごす方が好ましい人だったのでしょうが。
そんなこと知ったこっちゃないのでした。
──私が話しているということは、前述したようなお客様でしたから。
そうでなくてもお客様のことは随一覚えていますけどね。
ピックアップ!
面白い話、聞きました。
それをまた回想しています。
◆
「おじさま」
と言っても、この話はおじさまが帰りがけのことでした。
最後の日に水を汲みに行き、オンボロ酒場まで戻る最中のことです。
大柄のおじさまは、私を当然見下げることとなります。
鈍色の髪は揺れ、青い瞳が私を見つめていました。
その奥は優しい色をしていました。
「なぁに、ルディの姉ちゃん」
「
ルディちゃんがいいのですが、次第点といたしましょう」
「はは」
手厳しいと苦笑いを浮かべる顔も見慣れる頃でした。
おじさまはまっさらに笑わないのですが、きっと大人だからでしょう。
私もあのようにちょっと深みのある笑いをするようになるのでしょうか。
いいですね。意味深です。
「おじさまは何でこんな辺鄙なところに?」
「…」
「ああ、それはね」
「妖精を探してるんだよ」
はて、な。
私は瞬きをします。
私はど田舎で暮らしていますが、ど田舎でも誰でも知っているぐらいには普遍的なことでした。
「妖精はいませんよおじさま」
そんなもの。昔話の存在です。
かつて昔はいたという伝承や物語もあるそうですが。
今や見なくなった生き物の一つ。
それが妖精でした。
私がそう返すと、そうだね、とおじさまは道の先を見ました。
思案するようでした。
言葉を考える時って、大抵別の方を見るのです。
私はあなたへの言葉を考えていますよというように。
「……」
「妖精はもういないわな」
「うん、それはおじさんもわかってるけどね」
「おじさんは昔話を追いかけてるんだわな」
「考古学者を個人でやってるみたいなもの…」
「といえば、聞こえはいいかも知れないわね」
コーコガクシャ。知らない言葉でしたからついでに質問を。
つまりは昔の歴史を調べる人のようです。
それなら、まあ、なるほどと理解のいく私でした。
素直なものでしょう。取り柄ですよ。
ちゃぽん、といれものの中身が揺れる音がしました。
水はたっぷり運ばれています。
いく足もゆっくりでした。
「おじさまは妖精のコーコガクシャなのですね」
「まーね。そんなところじゃないかしらね。実際にどこかの機関に所属してるわけじゃないけど…」
「じゃあ、このあたりに妖精の息吹があったりしたんですか?」
なんて。私は当然、尋ねるわけです。
当然の疑問を。
「……」
「当たってるよ」
「この辺りにね、どうやら、妖精が落ちた池があるらしい」
「そういう昔話を聞きつけてね」
「……」
「この森の奥に、かな」
きた道を。私も、おじさまも振り返りました。
緑は青々と茂っていて、葉の間から木漏れ日が落ちるいい天気でした。
草花の香りが充満していて、風が緩く吹けば、木々は囁いています。
いい森です。時折、鳥の声が聞こえるようで。
──そして、もう、何もいない森。
「…」
私は森の奥に行ったことはありません。
もう現れなくなった、というのが確実な事柄とはいえ。
かつて、穴から魔物が降って沸いて、冒険者たちが討伐に勤しんでいたと言われる森の奥に、誰が好んで足を向けるのでしょう。
そしてもう何も取れなくなった森でした。
当然、誰も来るはずがありません。
穏やかさと自然の豊かさだけがある、伽藍とした森でした。
ですから、私も池を知らないのです。
「妖精の痕跡を辿るために、妖精の池を探しにきたのですね」
「その前に行き倒れた、と」
「いやまあ、行き倒れはそうなんだけどね…」
まいったなあ、とおじさまはあたまをかくばかりでした。
ふふ、も私も笑ったところ。
ふ、と当然疑問を差し出します。サッと。
「…」
「でも結局、おじさま、一回も森の奥にいかれてないですよね」
「ああ、まあ、うん」
「行き倒れちゃったから」
体制を立て直したら、また来るよ、と瞼を下ろして話します。
また泊まっていただけますか、と尋ねたら、どうかなあ、とはぐらかされてしまいました。
ショックですと、わざとらしくガンとして見せたら、はは、と笑い声を落とされましたが。
行き倒れなかったらね、と不確定な返事があるだけでした。
ざんねん。
もしかしたら拗ねた顔をしていたのかも知れません。
この私が。意外性に満ちていますね。
おじさまに笑われていましたので。
◆
「………」
窓際で、その時のことを回想していました。
結局、おじさまは来ることはありませんでした。
あの後、妖精の痕跡はあったのでしょうか。
水を運んだあの後、妖精のお話をいろいろ聞かせてくれたのでした。
その中でも特に、海の妖精に詳しいようでした。
…
ああはいっていましたけど。
きっと探していたのは、海の妖精だったのでしょう。
熱心に熱を持ち、話す様子が爛々としている。
それは。海の妖精だけでしたから。
ですから、疑問で仕方がないのです。
──なぜ、森の妖精が落ちたと思われる池を探しにきたのか?
……
きっと。答え合わせはされることはないのでしょう。
それを。私はとても残念に思いました。
妖精は幸運を運ぶものとも聞きます。
人を助けるものだと。
ならば、このお店にだって。
…なんて、いうのは夢ですね。
◆
◆
──行き倒れ損ねたな。
手を張って見送る子供の姿を見てから、男は思うことだった。
ああ、嘘っぱちだ、嘘っぱち。
森の奥に池があるんだろうことはほんと。
ただ、落ちたのは天使だという。
…
そんな話はどうでも良かった。
腐ってしまった研究結果。
妖精はいないという結論が腹立たしく蝕んだ。
では他の妖精はいないものかと、まだ縋るようにして各地を巡っている。
何も楽しくなく。
何でも、徒労だった。
天使が落ちた後、その池は血の香りがしているのだという。
そう言った化け物が住んでいて、人間はそれらに食い殺される。
という話が、かつて魔物がいた森にはこっそりと秘密裏に流れていたようだったが。
あの子供は知らないようだった。
時がさって忘れ去られたのか、語り継ぐ人がいなくて忘れ去られたのか。
もはや知る由もなく、ただ、放浪する自分がいるだけだった。
くだらない行方不明になりたかった。
意味のない自死をしたかった。
「………」
「やっぱり、海を目指そうかな」
森は自分には合わなかった。
そして、あの子供とまた会うわけにもいかなかった。

予定通り。予測通り。
これは正しい道行の話。
約束を結んだ子供はいない。
縋ってくる明るい緑の女の子はいない。
──これはおまけの行き倒れの話。
海の藻屑となる、いつかの男の話だ。