Chapter05-03

記録者: 古閑 茶太郎 (ENo. 1)
Version: 1 | 確定日時: 2026-01-11 04:00:00

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「……自由って、孤独とよく似ているの。
 誰にも触れられないから、何だってできるけれど……
 誰も自分を求めないという事でもあるわ」

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「愛は自由を奪う。でもね、
 愛だけが“そのひとを一人じゃなくしてくれる”」


私の持論だけれどもね、とあなたの答えのあとに告げ、
彼女はその言葉を噛みしめるようにゆっくり瞬きをした。
真っ白な部屋の光が、金髪に柔らかい縁を描き、赤い瞳に深い影を落とす。

吸血鬼は足を組み直し、少し身を乗り出す。
声の高さは変わらないのに、不思議と距離だけが縮まったように感じる。

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「……面白いと思わない?
 誰かを好きになるって、それだけで“前の自分”に戻れなくなるの。
 行動も、選択も、価値観すらも……気付けば誰かの影響で変わってしまう」

ふわりと肩をすくめて、少女は続ける。

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「私はね、愛って“どれだけ差し出せるか”で深さが決まると思ってる。
 時間でも、血でも、名前でも、自由でも、命でも。
 捧げた分だけ、その人はあなたの中に根を張るの」

コン、と椅子の脚が床を叩く。
アマリエはあなたへまっすぐ身体を向け、声を落として問う。

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「だから──あなたはどう?」


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愛のために、自分のどこまでを差し出せる?

──あなたは愛のためにどこまで出来ると思いますか?
Answer
半透明の壁の向こうから届く声は、
最初は輪郭が曖昧で、夢の中みたいに揺れていた。
それでも、ひとみんの言葉だと、すぐに分かった。

不自由でもいい。
愛さえあれば、それでいい。
そう言い切る声。

僕は、何も言えずに、ただ椅子の上で指を握りしめた。
赤い糸が、薬指に食い込む。

――ああ。
やっぱり、ひとみんは、そう言うんだ。
それが強さだと、分かっている。
生き延びるために選び続けてきた、ひとみんなりの答えだとも。

でも。
胸の奥で何かが、軋んだ音を立てた。

不自由なんかない、と彼女が口にするたびに、
あったはずの「不自由」を誰が引き受けているのかと、考えてしまう。

ひとみんは、きっと気づいていない。
自分がどれだけ、耐える側に立つことを、当然のように選んできたか。

「……」

声は出なかった。
出してしまったら、
「それでもいい」と言うひとみんの意思を、想いを、
壊してしまいそうな気がしたから。

愛があれば、不自由なんてない。
そう信じて生きてきた、美しい人に、

「それは、ひとみんが傷つく前提だよ……!」

なんて、言えるわけがなかった。
それでも。
――それでも、僕は。

ひとみんが殴られても、笑って帰ってきた夜を、知っている。

「大丈夫だよ」と言いながら、
ほんの少しだけ、声が掠れていたことも。

だから、胸が、苦しかった。
尊くて、正しくて、

でも、どうしようもなく、かなしい答えだった。

僕は、壁にそっと手を当てる。
触れても、伝わらないと分かっていながら。

「……ひとみん」

名前だけが、喉の奥で、かすれる。
もし、この問いが許されるなら。
もし、同じ愛の形を、選ばなくていいのなら。
――僕は、ひとみんのために、なにができるんだろう。
その疑問は、言葉にならず、
白い部屋に、静かに沈んでいった。
ただ、胸の奥で、
そっと、痛みを抱きしめるだけだった。

壁の向こうの声が、途切れる。
白い部屋には、また静けさが戻ってきた。
何かを喋るでも、誰かが動く気配もない、ただの空白がそこにあった。
僕はしばらく俯いたまま動けなかった。

不自由でもいい。
愛さえあれば、それでいい。

その言葉を、何度も胸の中で反芻して、
そして、ふと――気づく。
……ああ
自分も、同じことをしていたんだ。

幾一のためなら、なんでもできた。
一晩中眠らずに話を聞くことも、言葉を選んで、そうと悟られないように支えることも。
彼の視線が少しだけ柔らぐ瞬間を覚えてしまって、
それを何度もなぞるみたいに、同じ言葉を選んだことも。
好ましく思う振る舞いを、わざとすることも……
……できるかわからない約束をして、安心させて、裏で必死に叶えようと藻掻くこともあった。
結果、自分が傷つくこともあった。……正直、今も。

でも、それを「不自由」だと思ったことは、一度もなかった。

むしろ、幾一が笑ってくれるなら、幾一が生きてくれるなら、それだけで、全部が報われた。
それは、自分が選んだことだった。
誰に強いられたわけでもない。

だから、ひとみんの答えが、胸に刺さった理由も分かる。
……似ているのだ。

支える側に立つことを、自然だと思ってしまうところ。
自分が削れることより、誰かが生きていることを、優先してしまうところ。

「……そっか」
ぽつりと、独り言が落ちる。

ひとみんが特別、無理をしているわけじゃない。
ひとみんだけが、間違っているわけでもない。
それは、僕自身が、選び続けてきた愛と、とても、よく似ていた。

だから、僕には……その愛を、否定することはできなかった。

赤い糸に、視線を落とす。
薬指に縫い留められた、ほどけない証。

これも、同じだ。
誰かのために、結ぶ。 誰かのために、切らない。
同じ赤が、ひとみんの指にも縫い留められていることに、僕は気がついていたから。

ゆっくりと息を吐いた。

「……似たもの同士、だね」
どこか、苦笑にも近い微笑み。

それは諦めじゃない。 理解だった。
もしこの部屋が、問いを投げられる場所なら。
その問いが、正しさを決めるものじゃないなら。
この答えは、きっと「間違い」じゃない。
愛が、人を不自由にすることもある。
それでも、その不自由を自分で選ぶことも、また、愛なのだ。


僕は、椅子に深く座り直す。 もう一度、問いを受け取る準備をするように。
壁の向こうにいるひとみんに、声は届かない。
それでも、心の中で、静かに思った。
――ひとみん。 僕たち、きっと……同じ場所に立ってたんだね。
その気づきは、少し痛くて、でも、確かにあたたかかった。

その一切をみていたアマリエが言った。

「愛は自由を奪う。でもね、
 愛だけが“そのひとを一人じゃなくしてくれる”」

アマリエの言葉は、白い部屋の空気を、ほんの少しだけ震わせた。

茶太郎は、すぐには顔を上げなかった。
その言葉を、胸の中で転がすみたいに、ゆっくり、ゆっくりと反芻する。
自由を奪う。 一人じゃなくする。
どちらも、知っている。
どちらも、正しいと思う。

赤い糸に、もう一度視線を落とす。
縫い留められた薬指。これがなければ、僕達はもっと身軽だったかもしれない。
もっと自由に、どこへでも行けたかもしれない。

でも―― この糸がなかったら。
あの夜、幾一の名前を呼ぶことも、ひとみんの背中を思い出すことも、 きっと、できなかった。

「……たしかに」

ぽつりと、落ちる声。 アマリエの方を見るでもなく、誰に言うでもない、独り言だ。

「自由は……減ったかもしれない」

赤い糸を、指先でそっとなぞる。

「でも、その代わりに……  戻ってこられる場所が、できた」

迷っても。壊れそうになっても。
独りだと思いそうになっても。

「……一人じゃないって、思える」

それは、鎖みたいで。しかし、灯りみたくもあった。
茶太郎は、ようやく顔を上げる。
アマリエを見る目は、怯えでも反発でもなく、静かな納得に近い色だった。

「愛って……  奪うものでも、与えるものでもなくて」

少し、言葉を探す。

「どこまでも遠くへいくために……迷子にならないためのもの、なんじゃないかな」

ひとみんの答え。 自分の過去。赤い糸。
それらが、一本の線として、胸の中で繋がる。

「だから……不自由でも、選んじゃう人がいるんだね」

それは、自分のことでもあった。
茶太郎は、椅子に深く腰掛け、まっすぐにアマリエを見据えた。
もう、問いから逃げようとは思わなかった。
この部屋が、誰かを裁く場所、ではなく……
「それでも選んだ理由」を見つける場所なら。
自分は、ちゃんとここに居ていい。

「……ありがとう、アマリエ」

小さく、でもはっきりと。
愛は、自由を奪う。
けれど、孤独だけは、運ばない。
その意味を、茶太郎は、ようやく言葉として受け取っていた。

「トイカケを、つづけよう」


前置きが長くなってしまった。
次のトイカケは「──愛のために、自分のどこまでを差し出せる?」であった。

問いは、先ほどまでよりも静かに落ちた。
けれど、その静けさは、刃物みたいだった。
茶太郎は、すぐには答えなかった。
代わりに、少しだけ目を伏せて。胸の奥を探る。

これまで、何を差し出してきたのか。
何を、もう失ってしまったのか。

赤い糸が、指にある。
それだけで、答えは半分、出ていた。

「……どこまで、って言われると」

少し困ったように、息を吐く。

「全部、って言いたくなるけど……」

それは、簡単すぎる答えだ。 そして、危うすぎる答えでもある。
幾一の顔が浮かぶ。
笑っていた顔。
弱っていた夜。
名前を呼べば、ちゃんと返ってきた声。

「……僕はね」

言葉を選びながら、続ける。

「時間とか、眠る場所とか、……心とか。……譲れるものはなんだって、たくさん差し出してきたと思う」
夜を削って、心を削って。 相手が生きているなら、それでよかった。

「でも」

そこで、少し立ち止まるように、呼吸を整える。

「全部は、差し出せなかった」

それは、後悔じゃない。
ただの、事実だった。

「自分が壊れてしまったら……守れなくなるって、どこかでわかってたから」

だから、最後の芯だけは、残していた。
最後の砦。生き残るための、最低限の部分。
赤い糸に視線を落とす。

「……たぶん、この糸が縫い留めてるのは
 差し出した“全部”じゃなくて……差し出さなかった僕の、“最後の一部”なんだと思う」

それがあるから、戻れる。
それがあるから、一人にならない。

「だから、答えは……」

茶太郎は、ゆっくりと言った。

「自分が“誰かを想える自分”でいられるところまで。
 ……それ以上は、差し出さない」

愛のために、消えることはしない。 でも、削ることは、厭わない。

「……ひとみんも、きっと同じだ」

そう思うと、胸が少しだけ、あたたかくなる。
不安がやわらぎ、安心を、得る。
持っているもの差し出すことを選ぶ人。でも、完全には消えない。

「そうでしょ、ひとみん」

壁の向こうにいる、想い人に。
届くかは、わからないけれど。