茶太郎がふと気が付けば、そこは真っ白な部屋だった。
壁も、床も、天井も、どこまでも色を持たず、境界すら曖昧で。
置かれているのは、中央にぽつんとひとつの椅子だけ。
静かすぎるほど静かな空間。
息をする音さえ、吸い込まれて消えてしまいそうだった。
……特に、変わったことはない。
少なくとも、そう思った、その瞬間までは。

「──いたっ」
左手の薬指に、ちくりとした痛み。
反射的に手を引き寄せると、そこには赤い糸でできた“何か”が、
まるで縫い留めるように、指に結ばれていた。
こんなものをつけた覚えは、ない。
なのに、不思議と「異物だ」とは感じなかった。
茶太郎は首をかしげながら、その赤を見つめる。
細く、頼りなさそうで、けれど確かにほどけずにそこに在る糸。
それを見ていると、胸の奥が、ゆっくりとほどけていく。
ここがどこなのか分からなくても。
なぜ呼ばれたのか分からなくても。
──ひとりじゃない、という感覚だけが、確かに残った。
白い部屋の中で、
赤い糸は、静かに、指輪の代わりのように光っていた。
茶太郎はそのまま、椅子に腰を下ろす。
この糸がある限り、自分はきっと……
安心して、ここで問いを受け取れる。
問いかける側であっても、
問いかけられる側であっても。
心は、不思議なほど、穏やかだった。
今回のトイカケの相手は、アマリエという吸血鬼だった。
開幕、今日も来てくれたの?と、話しかけられた。
「あなたも分かっているでしょう?この部屋はいつでも
同じところに戻る事ができるのよ」
「思索を重ねた後、また同じ質問に答えたいとき、
そうあなたが望むなら、あなたはまた同じトイカケを受ける事ができる」
つまり、時間軸ですらここではちぐはぐで、どこで結びつき、解け、また結びつくかはわからない、ということだった。
そして一度会えたものなら、もう一度会うこともできる、と
今は有効的な使い方は思い浮かばなかったが、そうか、彼らとまた会うことができるのだ。とおもうと、少しだけさみしい気持ちも和らいだ。
今回のトイカケをはじめよう。
──あなたにとっての愛とは?
茶太郎は、少し考える。
すぐに答えが出る問いじゃないことは、分かっていた。
赤い糸が結ばれたままの薬指を、無意識に親指でなぞる。

「……愛、かあ」
視線を上げて、アマリエを見る。
試すようでも、裁くようでもないその瞳に、逃げずに向き合って。

「たぶん……最初は、欲しかっただけなんだと思う」
ぽつり、と。

「一緒にいてほしいとか。
離れないでほしいとか。
自分を選んでほしい、とか」
自嘲するように、ほんの少し笑った。

「でもね、それだけだと……壊れちゃうんだ。
相手も、自分も」
一度、言葉を切る。
胸の奥に触れるように、慎重に続ける。

「だから……途中から、変わった
相手が笑ってるかどうか。
苦しくないか。
ちゃんと生きていけてるか。
それを一番に考えるようになった」

「……自分が、そこに一緒に居られなくても」
赤い糸が、かすかに揺れる。

「それで、幸せになってくれるなら……
それで、いいって思えた」
しばらく沈黙してから、静かに結論を置く。

「たぶん、僕にとっての愛って――
“交わった時間が、誰かの世界を少しでも生きやすくすること”なんだと思う」

「一緒にいても。
離れても。
形が変わっても」

「思い出して、少し呼吸が楽になるなら。
前に進めるなら」
視線を落とし、椅子に座ったまま、穏やかに言う。

「それはもう、愛だったって言っていいんじゃないかな」
そして、最後に小さく付け足す。

「……だからこの部屋に呼ばれたなら、
僕は、悪くないなって思う」
ここでのトイカケが、
誰かの答えを、少しだけ軽くできるなら」
赤い糸に守られた指を、そっと握りしめて。

「それで、僕は十分だよ」