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記録者: 古閑 茶太郎 (ENo. 1)
Version: 2 | 確定日時: 2025-12-31 04:00:00

「……起きないね」

人工呼吸器の規則正しい音の中で、主治医が淡々とそう言った。
まるで天気の話でもするみたいに。
それは、雨、止まないね。と、まったく同じリズムだった。

「たまにね、反応はあるんだけど」

慰めるつもりなのか、事実を並べているだけなのか、判別のつかない声だった。
茶太郎の同居人―― 瞳 は、ベッドの脇で俯いたまま動かない。
手は茶太郎のシーツを掴んだまま、指先だけが白くなっている。
主治医は一拍おいて、穏やかに続けた。

「……ひとつ、選択肢があるんだ」

逃げ場を与えるみたいな言い方だった。
けれど、それが“選択肢”である必要は、本当はどこにもなかった。

「記憶を消すことができる。
 完全に消すか、触れられない場所に仕舞うかは選べる」

瞳の肩が、ほんの少しだけ揺れた。

「もちろん、対象は茶太郎だけじゃない。
 ……キミもだ」

主治医は、瞳の反応を確かめるように視線を落とす。

「そしたらね」

声が、やけに優しくなる。

「苦しいのも、辛いのも、終わる」

「選ばなかった記憶に、これ以上、責任を持たなくてよくなる」

一瞬の沈黙。

「それに――」

主治医は、決定打のように言葉を置いた。

「キミだけの茶太郎、が戻ってくるよ」

瞳の瞳孔が、わずかに開く。

「幾一くんと出会う前。
 二人で暮らしていた頃だ」

責める調子ではない。
ただ、知っていることを確認するみたいな声音。

「その頃は、その頃で……満たされて、幸せだったんじゃないかな」

主治医はそう言って、首を傾げる。

「間に割って入った、なんて言わないよ。
 でもさ」

一歩、ベッドに近づく。

「今の茶太郎を、このまま“共有”し続ける意味って、あるのかな」

瞳の顔を、覗き込む。

「このまま、目を覚まさないかもしれない」

「目を覚ましても……今までと同じ茶太郎かどうかは、わからない」

逃げ道は、もう一つしか残っていない。

「だったら」

「戻せるところまで、戻してあげるのも、愛情じゃないかな」

答えを急かすことはしない。
ただ、優しく、逃げ場を削る。

「考えておいて」

「キミが、どの茶太郎と生きたいか」

主治医はそう言って、静かにカーテンを引いた。