Chapter03-05

記録者: 古閑 茶太郎 (ENo. 1)
Version: 1 | 確定日時: 2025-12-31 04:00:00

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あなたの言葉に黙って頷きながら、
思考を深めるように髪を弄る手の動きは止まっていた。

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「……価値、なんて偉そうな言葉を使ったけどさ」

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「結局、自分がその生き方で満足できるかどうか
 みたいな話、な気もしてくるね」

短く言葉を切りながら、息を吐く。
沈黙は、ただ心の中を整理する時間のようだった。

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どうすれば、満足って思えるんだろうね

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「もちろん、簡単に“ああ、これで満足!”って思えれば楽なんだけど……
 現実はさ、どんどん次が出てくるし、思い描く理想と現実の間に隙間があって……」

小さく肩をすくめ、思い出したかのようにまた手が髪を弄った。

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もうこれでいいって思える瞬間……、
 クロは、経験ある?……どうすれば自分が満足できるかって、分かる?」


──あなたにとって“満足”とは何だと思いますか?

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「……“満足”って多分、別にゴールじゃないんだよね」

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「結局“ああ、今ここで自分のやりたいことできてるな”って瞬間のこと……なのかも。
 誰かに褒められたり、認められたりすることだけじゃなくて、
 ただ自分の心が納得してるっていうか」

髪を指先で絡めた手をそっと下ろし、視線を落とす。

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「だから、ウチにとっての満足って、“ずっと続くもの”じゃなくて、
 小さくて短いけど、自分の心にちょっと灯がともる瞬間のこと……かな、と思う。
 其れを積み重ねられる可能性が高い行為を、価値、と呼べるのかもなぁ……」

軽く息をつき、椅子にもたれて肩の力を抜く。
ふ、と視線があなたに戻り、問いかけるように目が揺れる。

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「クロはさ……そんな瞬間、ある?
 自分の中で、これでいいって思える瞬間って、どうやったら掴めると思う?」

Answer
シロの満足が、ゴールではないことが、羨ましかった。
シロは、やりたいことをして、ソレを積み重ねていける。 満ちることも、満ちきらないことも、 どちらも“途中”として許されている。

幾一は、違った。
幾一が最終的に死を選んだのは、
──満足してしまったからだった。

その事実が、
あとから、ゆっくり、
胃の奥に沈んできた。
胃酸が逆流しそうになる。
吐き気が、言葉より先にこみ上げてきて
声を出したら、そのまま吐いてしまいそうで。
思わず口を両手で塞ぐように抑える。

最初に死を選ぼうとした理由は、 もっと単純で。
自分の人生に、生きることそのものに、 ずっと昔から疲れていて。 理由を探す気力も残らないほど、疲れ果ててしまっていたからだ。

それを、僕が引き留めた。
トイカケをして。 言葉を重ねて。

毎日笑って、普通の生活をして。
楽しいね、って言い合って。

愛し合うようになって。


……そうやって。
毎日を重ねて。
言葉を選んで。
触れて、笑って。

――それで

僕が、
彼を、満足させてしまった。

「もう、幸せだから」 「幸せなまま、死にたい」

そう言って、彼は行ってしまった。

信じられなかった。
幸せだから死ぬ、という発想が。

生きる理由になるはずのものが、
そのまま、
終わる理由になるなんて。

僕は、彼を救ったつもりでいた。
少なくとも、救おうとしていた。
でも結果として僕は、
彼が“安心して死ねる場所”を、
時間をかけて、
確実に──
──整えてしまっただけだったのかもしれない。

満たしてしまった。
最後まで、生きさせる前に。

だから シロの、満足がゴールではない在り方が、 どうしようもなく、羨ましかった。

それに気付いてしまって、僕はもう、とても喋れるような状態じゃなくて。
うぅ、とか、あぁ…とか、小さく呻くだけの生き物になってしまって。
回答を待つシロの視線から目を逸らすように、椅子から降りて。
「……ごめん」
それ以上、言葉が続かなかった。
僕は椅子に縋り付くしかなかった。
椅子がなかったら、たぶん床に落ちていた。

話すべきでない。こんなことは。
"これから"を生きていくためのトイカケをしているシロには、毒でしかないとおもったからだ。
知らなくていい。そんな終わりのことは。
僕は息を整えて。ポツリポツリと。毒にも薬にもならないような解答をした。
どうでもいい内容だから。記憶には残さないだろう。