白い部屋。椅子は二つ。
床には鮮やかな赤が、溶けた色のように揺れていた。
血にも、宝石の反射にも見えるその色は、光を受けて静かに脈打つ。
作業台の上には散らばった錬金の道具。
乳鉢や刻印の入った銀匙が、依頼品の残り香を漂わせている。

「……ふーん」
興味なさそうに、白い壁の隅に書かれた数字を見る。
乾いた数式。期限か、残量か、それとも命の換算か。
椅子の背にもたれ、片手で空をなぞる。火は出さない。ただ、温度だけが上がる。
器の内側で、色がくぐもった音を立てて泡立った。

「君、愛を差し出す、奪う、縛るって言葉しか使ってない。
愛するって言葉は使わなかったね。
全部、奪い方と管理の話だ。差し出す、奪う、縛る。
それを全部ひっくるめて愛と呼ぶなら、君は一度も愛したことがない。
愛されたことも、一度としてない。」
指先で天秤を描く。器の液体が揺れ、光を床に微かに映す。
ガラス棒で軽く混ぜると、泡が弾け、静かな部屋に音が響いた。

「さて、問いかけだ。
君は一度として愛されたことがあるのか?
奪われる心配も、代価の計算もせずに。
愛された側として、どれくらいの時間を生きた?
奪われる前提じゃない時間を、生きた覚えはある?」
瞳が、少し細くなる。
溶けた色を湛えた器を眺め、静かに続ける。

「奪った愛の、その後を何年考え続けた?
壊れた生活や、歪んだ時間や、君が去った後に残ったものを。
一晩か、数年か、百年か。それとも考えたことすらないのか。
奪って終わりなら、それは愛じゃない。ただの消費だ。」
光が落ちた器を指先で揺らすと、色は透明に近づいていった。

「代価を請求しなかった愛の価値を、君は理解できるか?
奪えないものを、価値として認識できるか。」

「縛らなかった関係は、何を残した?
喉を潤さなかった夜も、意味を持つのか。」

「奪う前提で愛を扱う自分を、誇れるのか?
愛を盗むことを当然だと思って胸を張れる?人間の尺度では、それは罪だ。
その線を理解した上で、君は越えているのか?」
器から微かな蒸気が立ち、光が淡く揺れる。

「安心して。裁く気も、燃やす気もない。銀の弾も、太陽も出さない。」
完成間近の液を作業台の端に避け、次の器に新しい液を注ぐ。静かに、笑う。

「ただね、奪う前提の愛は、盗品だよ。扱うなら、せめて自覚しなきゃ。」
オレンジ色の瞳は、しばらく動かなかった。白い部屋に、錬金術の熱だけが残る。
液体が静かに揺れ、微かに光を放っていた。
椅子の向かいにあなたの姿を見て、
その吸血鬼が驚いたように目を瞬いたのは一度だけだ。
椅子の〝こちら〟側に来たのだとすぐ察せば、あなたの紡ぐ言葉に笑みを浮かべていた。

「あなたは愛を火だと例えたわよね。
……ふふ、私の思う“愛”とあなたの思うものは
きっと違うものなのだわ。だからあなたの目から見たら
“愛してない”と思うのは、きっと間違いではない」

「気持ち悪いと言いながらもあなたが私に問うのは、
あなたが私を理解出来ないなのかしら?
──ああいえ、問うべきは私では無かったわね」
それから、一呼吸おくような仕草。
今までの笑いとは違って、どこか自嘲的な色が覗いた。

「きっと私は愛されては居なかったわ。
──愛されていると思っていた、思いたかった。
在る時、私に怯えずに声を掛けてくれた人間がいて、
私は初めて心惹かれたの」

「今思うと始まりはただの吸血欲求であったのかも知れないけれども、ね。
でも、彼ったら一度だけじゃなくて何度も私を訪ねて来たの。
言葉を重ねて、そのうちお互いの話なんかもして……
血を吸いはしなかったけれども、楽しかった、素敵な時間。
だから、勘違いをしてしまった」

「彼は、私を愛してくれてるのだと。
……青くて致命的な勘違いをしたの。」

「彼の手で封じられて、私は今、こうなっている。
傷つけたく無かったから……」
どこか遠い昔を思い出すように、ぶっきらぼうに紡ぎながら視線を遠くに置いた。
何かを後悔するようでも、未だ未練があるようにも見える。
去り行った時の事を、それ以上紡ぐことはない。

「つまらない昔話をしてごめんなさいね?
それで────なんだったかしら。
愛されたこともない、となるとトイカケの前提が狂ってしまったかしら?」

「次は失敗したくないから、問い掛けを繰り返していたの。
ふふ、愛の多い女に見えてたの?」
私が、愛に縛られて奪われた側なのよ、と。
言葉を紡ぎ直しては、元の調子に戻っていた。