
「愛はね、いつだって行き先を自分で決められるものじゃないわ。
でも──あなたがどこを望むかで、
その結末に“どんな色をつけるか”は変わっていくわ」

「……ええ。これで終わり。
“今回のあなた”と話すのは、これが最後ね」

「此処での話なんて忘れてしまっても構わないわ。
でもいつかあなたの“愛の答え”が変わったとき、また聞かせて?」

「さあ、戻りなさい。
あなたの現実へ──あなたの愛が続く場所へ」
白い部屋の境界が、ふっと揺らぐ。
床と壁の境目が削れ、淡く溶け合っていく。
輪郭を失った世界は、いつも思考が深まる合図だった。
フェルヴァリオはその中心に立ち、静かに息を整える。
錬金術師として、物質を変える前には必ず定義を行う。
定義を誤れば、変成は失敗する。感情もまた、同じ法則に従った。

「定義、愛とは──」
言葉に出さない。
言葉にした瞬間、答えが閉じてしまう気がした。
フェルヴァリオはフラスコを揺らし、液体の変化を見つめる。
愛は状態だ。
誰かを手に入れることでも、失わないことでもない。
相手を『別の存在として扱い続ける』ための緊張。
緩めれば溶け、締めすぎれば壊れる、極めて不安定な均衡。
愛には必ず不自由さが生まれる。
愛に伴う不自由さを否定する者は、最初から愛を信じていない。
問題は不自由をどこに配置するかだ。

自分に置くのか。相手に押しつけるのか。
後者を選んだ瞬間、愛は錬金術ではなく、呪いになる。
かちゃりとフラスコに管を通し、側面のラインいっぱいにこぽこぽと桃色の液体を注ぐ。

「愛のために、どこまで差し出せる?」
フェルヴァリオはすっと指先で金色の錬成陣を広げ、フラスコを置く。
その問いは、錬成陣に似ている。
初めは円は美しく閉じているが、中心に置かれているのは金属でも命でもなく、
相手の恐怖だ。
差し出さなければ失う。応えなければ壊れる。
選ばなければ、愛していないことになる。
錬成陣の中央に置かれたものは、生き物の心臓。
どくん、どくん、と脈打つその鼓動は贈り物のように見えても、
実際には感情の言葉で隠した脅しだった
フェルヴァリオは知っている。愛は測れない。
錬成陣の心臓に問いかけても、答えは返ってこない。
測ろうとした瞬間、人は量を増やすか、相手を減らすかしか選べなくなる。
本当に見るべきは、相手が自由でいられるかどうか。
拒否しても罰がなく、沈黙しても関係が続くかどうか。
選択の自由が残っている限り、愛はまだ錬成途中だ。
フェルヴァリオはこぼすように言った。

「……海にでも行こうか」
透き通った青。白い砂浜。誰もいない。
波が揺れて、ちいさな波紋が足元に届く。
オレンジ色の
背鰭、水面を滑る影。
行き先、という言葉が浮かぶ。
終点を決めた関係ほど、脆いものはない。
同じ場所に辿り着かなくてもいい。途中で降りてもいい。
それでも偽りではなかったと言える時間。
過ごせた時間が残るなら、錬成は失敗ではない。

(うちの兄貴夫婦、いちゃいちゃしてんだろうな)
頭の片隅に浮かぶ。
肩がほぐれ、胸の奥がふわりと震える。
白い部屋が、さらに薄くなる。
世界が戻り始め、フェルヴァリオは最後にひとつだけ思考を残す。

「愛とは──」
境界が消え、部屋は崩れる。定義は、まだ未完成のままだった。