Chapter02-05

記録者: ウィルフレッド・メイフィールド (ENo. 13)
Version: 1 | 確定日時: 2025-12-14 04:00:00

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「ねえ──じゃあさ」

ぱちん。
少年が指を鳴らす。
軽快なくせに、不思議と胸の奥をざらつかせる音がした。

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「“正しい”があるなら……“悪い”って、なんだと思う?

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「君の思う“悪さ”ってさ。どういう形をしてる?
 ……悪い人って、どうして悪い事をすると思う?」

その声は明るいのに、奥底に沈むものは冷たく澄んでいる。
冗談みたいな口ぶりなのに──その実、返答を逃す隙を与えないほど見つめていた。

──あなたは、何をもって“悪い”と判断しますか?


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「僕が新しい曲を吹こうとするとね、
 止めようとする人がいるんだ。すっごく真面目な顔してさ」

笛に指を当て、吹く真似をして。
けれども笛を通して音を出す事はしないで、
また手持ち無沙汰のように笛を手でいじる。

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「親も、偉そうな大人も、見回りの憲兵も、
 神様の言うことばっかり唱える聖職者もね。

 彼らはそれを“正しいこと”だって僕に言うんだよ。
 でもさ、僕の新しい音を止めるんだよ? それってさ──」

そうして。歌う様な声で嗤った。

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〝悪い〟ってことじゃない?

      ──だって僕の方が正しいのだから!

……少年はあなたを見ている。
Answer
ざらつく音にも男は目を向けない。
蒼い瞳は少年からやや逸れた方向を眺めている。
獲物を追い詰めた肉食獣のような、
ひどく落ち着いていて獰猛な冷たい声色すらも彼を揺らさない。
二人の間に厚いガラスの板でもあるかのように、
二人は今、対話しているとは言い難い状態にあった。

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「悪いって事、か。
 ……短絡的だな。」

ぼそり、呆れたような言葉が吐き出される。
その声色に侮蔑の意は込められてはいなかった。
けれど少年とは違った冷たさを持った声色である。

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「君の事情は置いておくとして……
 悪い、と言うものも結局は曖昧なものだと僕は思っている。」
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「僕の考えでは正しさに定まった形がないのだから、
 それに似た概念である悪というものも当然、そうなる。
 人によって悪と感じるものはブレるのだよ。」

両腕を軽く抱いたまま、
退屈な話を続けるように男は語る。
対話を諦めた訳ではなさそうだが、
他の何かを諦めたかのような顔だった。

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「……仕事上、悪事を働く人間には嫌と言う程会ってきた。
 どいつもこいつも様々な理由で悪事を働いていたのだよ。」
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「呆れる程馬鹿馬鹿しい理由で他人を傷つけた奴がいた。
 悲痛な思いを抱えて振るわれた刃があった。
 ……一昔前であれば悪魔に取り憑かれてるから、なんて
 実に単純で馬鹿馬鹿しい理由がつけられていただろうけどね。」
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「どれも当人にとって悪事を働く為の理由があり、
 こういう人だから、という型紙なんてものはなかったのだよ。」

“正しさ”と同じく”悪さ”と言うものにも
決まった形はないと男は首を横に振る。

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「多くの者を傷つけ、そして壊した奴だって……
 大切な”誰か”の為に必死になっただけだった。」
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「当然、それなら許されるという話でもない。
 理由がどんなものであれ、やって良い事と悪い事はある。」
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「正しさについて問われた際に話しただろうが……
 社会には多くの人間が参考にすべき正しさがある。
 それは法という名で呼ばれ、社会で生きるものたちが守るべきものだ。」

正しさという物差しは誰もが持っていて、
一人ひとり、様々な形をしているものだ。
しかしそんな中に模範となるべき物差しがある。
それが法というものだ、という話は既に彼がしていた。

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「悪さにも同じようなものがある。
 人として絶対にこのような事はやってはならないと
 多くの人間たちで決めた約束……道徳のようなものだ。」
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どんな理由があったとしても、他者の命を奪ってはならない。
 生物である限りどんなに世界が変わろうが
 これだけは残り続ける約束だろう。」
「当然だ。人は死んでしまえばそこで終わるのだから。」

死んだからもう一度、がない生命にとって
命を奪うという行為はひどく重いものだと彼は捉えている。
どんなに崇高な理由があれど、それだけは絶対にやってはいけないと
変わらない眼差しのまま、淡々と男は口に出した。

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「人の命を奪わなければ何をやらかしたとしても
 場合によっては許される……とも思わんがね。」
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「ま、この辺りは僕がわざわざ言ってやらんでも
 君にも多少なりとも常識というものがあるのなら
 他にも色々と許されないことがあるのは、わかるだろうが。」

すい、と今までそっぽを向いていた
男の蒼い瞳が少年の方へ向けられる。

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「……誰もが罪を犯す可能性を秘めている。
 常識として知っていたとしても。
 道徳として許せないと思っていたとしても。」
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「不意に切っ掛けというものは己の手の内に転がり込んでくるものだ。
 様々な理由で、それは”正しさ”にもなるし”悪さ”にも変わる。
 それはいつか刃に変わるその日を、君の手の内で待ち続けるかもしれない。」

男は少年が持つ笛を眺めている。
それが悪に転じることがあるのかもしれない。
或いはそんな日は全く訪れず、
少年は少年の語る正しさを貫けるのかもしれない。

どうなるのかはきっとお互いわからない。
その手の内にある”何か”が、
“どう”なるかなどは誰にもわからないからだ。

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「……君の手の内で、
 それが刃に変わらない事を願うのだよ。」
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「君の事情を知らない僕からはもうそれくらいしか
 言ってやれることはないな。」
「たとえ僕が君の何もかもを知っていて、
 都度君に最適な助言ができる立場にいたとしても……
 道を選ぶのは君だ。話を聞くかは君が決めることだ。」
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「後は君自身と君の周りの頭の出来を期待するのだよ。
 ……ま、精々頑張りたまえよ笛吹きの少年。」

軽く息を吐き出して、男はそれきり口を閉じてしまった。
もう話すことはない。
そんな事を言いたげに、瞳は再びそっぽを向いている。