「彰」
白い部屋で、
私は椅子に座ったまま、
ふと、自分の名前に触れた。
この名前は、
葉隠家の初代探偵・松葉彰から取られたものだ。
百年前に、己の正義を貫いた、正義の象徴。
だから子供の頃は、
「さすが葉隠の跡取り」「やっぱり彰は違うな」
と、どこに行っても“探偵の血”を期待された。
でも、本当は違う。
父が私に名を告げたのは、
母が亡くなった直後の、
まだ消毒の匂いが残る病室だった。
父は私の小さな手を握りしめて、
震える声で、でもはっきりと、こう言った。
「お前は俺たちの、誇りだ…」
私はまだ三歳だった。
意味なんてわからなかった。
でも、父の瞳が泣いていたことだけは覚えている。
後で聞いた。
母が出産後も父は母の手を握りながら、
「どんな子が生まれても、俺たちの誇りにしたい」
と、ずっと呟いていたらしい。
性別なんて関係なかった。
立派な探偵になってほしいとか、
家業を継いでほしいとか、
そんな大層な願いじゃなかった。
ただ、
「この子が生まれてきてくれただけで、俺たちは胸を張れる。世界で一番誇らしい親になれた」
そう思ったから、
「彰」という字を選んだ。
だから「彰」という名前は、
探偵の血でも、
正義の象徴でもない。
ただの、
両親が私に贈ってくれた、
世界で一番素直で、
世界で一番温かい、
「誇り」という名の愛だった。
父が亡くなった日、
私は父の古い紺色の帽子を被って、
初めて一人で現場に向かった。
そのとき、胸の奥で、
父の声が確かに聞こえた。
「お前は俺たちの誇りだ」
だから私は、
どんなに傷ついても、
どんなに孤独でも、
どんなに正義が嘲笑われても、
自分を誇りに捨てない。
「彰」という名前に、
私が返せる唯一の答えは、
父と母が胸を張って言ってくれた
「俺たちの誇りだ」
という言葉を、
一生、裏切らないことだけだから。
……だから、
この名前を呼ばれるたびに、
私はまっすぐに立てる。
「彰」と呼ばれるたびに、
私は、
父と母の、
ただひとつの願いに応え続けている。
それだけで、
私は生きていける。