「駿」
父さんと母さんは、二人で何日も寝る間を惜しんで考えてくれた名前だ。
「活発で、元気で、どこまでもまっすぐに走っていく子になってほしい」
それが願いだったって、後で母さんが教えてくれた。
でも俺、生まれてこの方、走るのは遅い。
幼稚園の運動会では、リレーのアンカーでビリ確定だった。
それでも母さんは、
「駿は自分のペースで走ればいいんだよ」って、
いつも最下位の俺の手を握って、笑ってくれた。
母さんが病気になって、病院のベッドで、
最後に俺の手を握ったときも同じことを言った。
「駿は、ゆっくりでも、誰かの横にいてあげられる子になったね。それでいいんだよ。お母さんの願い、ちゃんと叶ってる」
……そうか。
母さんが願ってた『まっすぐに走る』って、
速さのことじゃなかったんだ。
誰かが疲れたとき、誰かが立ち止まりそうになったとき、俺が横に並んで、「大丈夫、俺がついてる」って歩けること。
それが、俺の『駿』なんだ。
だから今は、「駿」って呼ばれるたびに、
母さんの願いがちゃんと叶ってるって、胸が熱くなる。
俺は、誰かの道しるべになれてる。
ゆっくりでも、確実に、
みんなの横にいられる。
それが、篠崎駿の、母さんがくれた、一生分の宝物だ。