
「……。
……僕の言った言葉を、努々忘れるなよ。」
ぼそりと少年の言葉を聞き終えた後に男は呟いた。
じっと心の中まで覗くように向けられていた
彼の蒼い瞳が、ふと、軽く横に逸れた。
それは何かを諦めたような、
あとは本人に全ての選択を委ねたような……
そんな徐々に熱を失っていく視線であるようだった。

「……正しさとは、各々が持つ尺度だと思っている。」
「尺度……所謂物差しだ。
人々が自分の思う正しさを目盛りとして書いた物差し。」

「目盛りの間隔も、物差し自体の長さも人によって異なる
……自由で、不規則な、当てにならないようなものだ。」
男の回答は少しだけ少年に近いものだろうか。
彼は正しさというものに”正しい形はない”と答えた。

「正しさとは、実に不確かなものだ。」
「自分の持つ尺度が一体どれだけ”正しい”かなんてことはわからない。
何故なら他人もそれが”正しい”かどうかなんて知らないからだ。」

「だが、わからないから仕方ないね、ともならないのが社会だ。
そして曖昧なものを掲げる訳にはいかないからと人は法という
“多くの者が参照すべき物差し”を作り上げたのだよ。」

「まあ……それだって国によって異なるし、
時代が違えば、国の舵を取る人間が変われば
変わっていくものだがね。」
こうするべきだ、こうしなければならない。
これは間違いであるからやってはいけない。
決まりとしてある程度誰もが参照すべき”正しさ”はあるだろう。
しかし、それだって絶対ではない。
少し過去を振り返れば、今とは違う正しさで人々は生きている。

「自分が正しいと信じることは悪いことではない。
けれども他人の意見は多少、聞くことをお勧めするのだよ。」

「各々が持つはっきりした形を持たない物差しは、
多くの者と関わり、多くを知ることでその長さを、
形を、目盛りの幅を変えていくものだ。」

「今、君が持っているものが”絶対的に正しい”とは限らない。」
「そして当然、
僕自身が持つ尺度も絶対的に正しいかはわからない。」
虚空を測るように男は軽く両腕を広げる。
その広げた大きさは他人から見れば大きいかもしれないし、
思っていたよりも小さいかもしれない。
“そういうもの”を彼は”正しさ”と呼んでいる。

「他人に間違いを指摘された際に落ち込む必要はない。
自分の在り方を揺らがせる必要もない。」

「ただ、何故相手がそう指摘したのかを考えたまえよ。」

「そうすることでより君は自身の正しさを信じられるようになる。
漠然と良いものだから正しい筈、という考え方が強固なものになっていく。」
男は静かに両腕を閉じる。
彼の正しさを表す物差しは一体どれ程の長さなのだろうか。
それを知る術はない。それは見る事が叶わないものだからだ。

「多くを知り、多くを考え、磨き上げて作り上げるもの。
一人ひとり長さも間隔も違うけれど、確かに何かを測っているもの。」

「誰一人きちんと理解できていない、あやふやなもの。
……僕はそれを、正しさだと思っている。」