アルヴェンは、ひとりごとのようにぶつぶつと何かを呟いていた。

「……うーん、なるほど。あの現象……言語化するのが少し難しいですが、
多分、視覚的な輪郭と空間認識の情報が、瞬間的に再構築されているのだと
思います。物理的な消失や崩壊というよりも、知覚のレイヤーが重なり合って、
境界が滑らかに溶けていく感じ……
つまり、僕たちが普段認識している『空間』というものは、あくまで脳内で組み上げたモデルであって、この部屋はそのモデルの外側にある現象をわずかに、でも部分的に見せているのでは……」
少し慌てたように顔を上げる。
やや恥ずかし気に頬を掻いて、けれども気になるのは変わらないらしい。
そわりと溶けて行く景色を見て、投げかける言葉もどことなく好奇の色が滲んでいた。

「あっ、すみません……。
ええと、どうやらこの部屋は今回は役割を終えた……みたいな、そう言う事なのかもしれません」
視線を宙へ泳がせる。

「ひょっとしたら、僕が何かの条件を満たした瞬間に、部屋が終了を決めた……?
いや、でもあなたが答えたことも絡んで……あああ、もう一回最初から整理……!」

「……ああ、でも待ってください、あの瞬間の視覚情報の変化とか、
境界の消失タイミングとか……
あれ、もしかして僕の推論が部分的に正しかったんじゃ……!」
言いながら、自分の言葉に少し興奮してしまったのか、頬を緩める。
小さく息を詰めて、ぱっと笑った。

「あっ、あっ……妙にテンション上がっちゃいました。へへ……。
えっと……じゃあ、そろそろ元の場所に戻らなきゃですね。
いや、戻ると言うより、“戻される”ですかね、たぶん」
彼は急に慌てたように視線を宙に泳がせ、片手を振って叫ぶように言った。

「じゃあ、あの……さようなら! またどこかで──
あっ、いや、巻き込まれるのは勘弁ですけど、
お会いできたら……その時はよろしくお願いします!」
その言葉を残して、壁の向こう側で慌ただしく消えていった。
ひとり、残された白い部屋。
フェルヴァリオは机の上に、ぐでーっと伸びるように上半身を預けていた。
だらけた姿勢のまま、指先でフラスコの側面を、こつん、こつん、と軽く突く。

「……定義。異世界における自己存在の意味を探れ」
ぼそり、と。
白い天井を見つめたまま、息を吐く。

「……さっきのは、悪くなかった」
フラスコを軽く揺らす。

「身体能力の上昇、知力の上がり方も問題なし。
バカにつける薬なんて……この世界のどこにも売ってないし」
少しだけ口角が上がる。
そしてすぐ、ぼそっと付け足す。

(……だから、作るんだ)
フラスコの中身が、わずかに揺れた。
片手で髪をかきむしる。

「あーー……でもこれ!どうやって飲ませよう……?
飲むと解毒作用が働くんだよな……」
指でビーカーの縁をなぞりながら、独り言。

「……塗り薬とか、湿布みたいにすればいい?皮膚吸収……?」
フラスコを机に置く。

「……案が欲しいんだけど」
白い部屋は、何も答えない。壁も、床も、宙も。
ただ静かに沈黙している。
小さく呟いて、目を閉じた。白は徐々に薄れ、机も、フラスコも、天井も──
輪郭がほどけていく。
声を返す者のいない空間の中で、フェルヴァリオの意識は、静かに落ちていく。
やがて。
きっとまた、現実世界で目を覚ます。
夢だったと言い切れない、境界の記憶を抱えたまま。