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記録者: ニィルファ (ENo. 212)
Version: 1 | 確定日時: 2025-12-07 04:00:00

霊峰の奥深く――

人間がほとんど足を踏み入れぬ、禁足地に近い静寂の地に、ひとりの竜人が暮らしていた。
名をウロボロスという。藍色の髪と、透き通るような青い瞳をもつ、美しい青年である。

彼はそこで鍛治士として生きていた。
といっても、山の麓の小さな村から頼まれるのは、クワやシャベルといった生活の道具ばかりだ。
折れた柄を直し、刃こぼれした鉄を鍛ち直す。
そんな穏やかな日々の合間に、ウロボロスはひっそりと、自分のための剣を打った。
誰に見せるでもない、美しさだけを追い求めた剣を。

彼が住む屋敷は、青を基調とした静謐な空間で満ちている。
外気と同じく冴え冴えと冷え、氷の属性を宿す竜人にはこの上なく心地よい。
だが屋敷の奥にただ一室だけ、雰囲気をまるで異にする場所があった。
鍛治場――ウロボロスが情熱を注ぐ、熱と轟音の砦だ。


◆◆◆

氷の息吹を拒むかのように、炉の赤光が揺らめき、石の床に熱が満ちている。
冷気の住まう屋敷の中心に、燃え盛る心臓がひとつ埋め込まれているかのようだった。

ウロボロスはその異質な空間で、今日も静かに鉄を打つ。
氷の竜人でありながら、火花の中で最も美しい形を生み出すことに、誰よりも熱を抱きながら。

魔法が息づくこの世界では、鍛治の作業にもまた不思議な力が宿っていた。
ウロボロスの振るう槌は、ただ鉄を叩くだけではない。
魔力の律動に合わせて、かてん、かてんと澄んだ音を響かせる。

その音は、山に住まう精霊たちが耳をそばだてるほど清らかで、鉄そのものが歌っているかのようだった。
赤熱した金属に魔法の気が通るたび、表面が淡く脈打ち、青い光の粒子が舞い上がる。

ウロボロスは静かに目を細め、槌を振り下ろす。
火花と魔力とが交じり合い、鍛治場はひときわ強い輝きに包まれる。

彼が鋳つのは、ただの剣ではない。
魔法と金属、そして己の宝石を混ぜ合わせた、“生きた刃”そのものだった。

ウロボロスの屋敷は、霊峰の険しい地形に寄り添うように建てられていた。
その敷地には、自然がそのまま残された洞窟と、冬の気配を閉じ込めたような凍りついた池がある。
山では常に雪が舞い、風は肌を刺すほど冷たい。
それでも屋敷の傍らには、小さな畑がこつんと息づいていた。
雪を避けるように魔法で整えられた畝は、驚くほど丁寧に手入れされており、
この過酷な場所に似つかわしくないほど穏やかだった。

屋敷の二階には、広々とした書斎がある。
壁一面に並ぶ書物は、いずれも人間の言葉では記されていない。
古竜の文字、精霊語、あるいはこの世界のどこにも存在しない記号ですら混じっている。
外の文明から隔絶された生活でありながら、知の香りだけは満ちていた。

そんな静謐な住処にも、ときおり異物が訪れることがある。
禁足地と知らずに足を踏み入れた旅人、あるいは吹雪に迷い遭難した者たちだ。

彼らはふらりと屋敷へたどり着き、氷の青年の姿を目にして目を見張る。
ウロボロスにとっても、それはごく短い、しかし確かに日常を揺らす出来事だった。

屋敷の前に、雪を踏み分けるかすかな気配があった。
ウロボロスは鍛治場の火を落とし、音もなく扉を開く。

そこには、吹雪に打たれた若い旅人が立っていた。
顔は雪に白く染まり、疲労と寒気で膝が震えている。

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「……た、助けを……」


息もうまく続かぬ声に、ウロボロスは静かに眉をひそめた。

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「こんな所まで何の用だ」


その声音は冷たくはない。
ただ、長く孤独に暮らしてきた者の、淡々とした響きがあった。
青年はその声に安堵したのか、崩れるように雪へ倒れ込んだ。

ウロボロスは軽々と旅人を抱き上げ、屋敷の中へ運ぶ。
氷の竜とは思えぬほど温かな手だった。

暖炉のそばに旅人を横たえ、彼は短く息をつく。

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「禁足地だってことも知らずに、よくまあここへ来たもんだ。運はいい方だ。」

旅人がかすかに目を開くと、ウロボロスの横顔が見えた。
髪が炉の光を受けて揺れ、瞳は深い湖のように青い。

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「俺は鍛治士だが……武器の扱いは、まぁ得意でな。
 この山でお前さんを食おうとする魔物ぐらい、片手で追い返せる」

やわらかく笑ったのか、口元がわずかに緩んだ。

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「安心しな。お前さんが回復するまで、ここで見ててやる」

旅人はその言葉に安心し、意識をゆっくりと手放した。

ウロボロスは立ち上がり、窓の外の白い嵐を見つめる。
武力では山の誰にも負けず、氷の魔力を宿しながら、彼はただ静かに、訪れた者を保護する。

それが、孤独な竜人に残された、ささやかな “人との縁” だった。

旅人が目を覚ましたとき、まず目に映ったのは 青 だった。
壁も天蓋も、調度品の縁取りに至るまで、深海のような青で統一されている。
だがその印象とは裏腹に、空気はほんのりと温かく、凍えた体に心地よく染み渡った。

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(……ここは……?)

旅人が身を起こした瞬間――
天井の青い影が、なめらかに揺らいだ。

まるで水面がさざめくように、天井の模様が変化し、巨大な竜の目がひとつ、ゆっくりと開く。

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「……ようやく目を覚ましたか」


低く、深い声だった。
それは部屋に響いたのではなく、影そのものが語ったように感じられた。

旅人は息を飲んだ。
この影こそが、先ほど自分を救った青年――ウロボロスの真の姿なのだと直感する。

影の竜は、蒼の瞳を細めて続けた。

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「人間の温度の感覚というものは、どうにもよく分からん。
 だが……凍えて死ぬ、という現象くらいは理解している」

それは、不器用な気遣いに満ちた言葉だった。

竜は、静かに天井を流れるように形を変える。
爪、翼、尾……どれも青い影のまま淡く揺れ、時折、ウロボロスの人間の姿へと重なるように歪む。

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「一階に降りるなら、右へ向かえ。
 食事を用意している。……火の扱いは苦手だが、腹を満たす程度のものくらいは用意できる」

旅人が戸惑いながら立ち上がると、その影の竜はふっと静寂へ溶けていった。
まるで、そこに最初から何もなかったかのように。

ただひとつ残ったのは、
“この屋敷の主は、人の姿をした青年だけではない” という確かな実感だった。

旅人は胸の鼓動を押さえながら扉へと向かう。
その先には、人型の姿へと戻ったウロボロスが待っている――。


旅人は青い部屋をそっと出て、階段を降りた。
一階に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは奇妙な光景だった。

廊下のあちこちに、尾を自らの口で噛んだ竜――
ウロボロスの象徴そのものの彫像が置かれている。
掌に乗るほどのものから、腰の高さほどあるものまで、様々な形が静かに佇んでいた。

どれも透明度の高い水晶で削り出され、宝石のように澄んだ瞳がかすかに光っている。

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(……見られている……?)

旅人は背筋を正しながら食卓のある部屋に入った。
大きなテーブルには料理が一通り並べられているが、席には誰もいない。

生暖かい湯気が残っている。
ついさっきまで誰かがここにいたような気配だけが漂っていた。

そのとき――
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「腹が減っているだろう。食え」

声がした。
だが方向が分からない。遠くから聞こえたようでもあり、耳元で囁かれたようでもある。

旅人は思わず振り返るが、そこには誰もいない。
ただ彫像たちの光る瞳が、静かに揺らめいているだけ。

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(……これは、あの影の声……?それとも、本人……?)

胸の鼓動が早くなる。

その瞬間、屋敷の奥から、低く澄んだ金属音が響いてきた。

――かてん、かてん。

静謐な青の世界を破るように、一定のリズムで槌の音が続く。
旅人は音に導かれるように廊下へと足を向けた。

奥の部屋――
扉の隙間から、炉の赤い光が漏れている。

ウロボロスが、剣を打っていた。

彼の背に揺れる藍色の髪。
剣に宿る魔力が青くきらめき、鉄が金属が歌うように鳴る。

人型の姿をしていても、あれが “竜” であることを旅人は改めて悟った。

声がまた、どこからともなく響いた。

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「食わねば倒れるぞ、お前さん」

旅人は一度振り返り、誰もいない空間を見つめた。
その目に、近くの彫像の光だけが淡く瞬いている。

そして、彼はゆっくりと食卓へ戻った。
竜の気配を背に感じながら。

◆◆◆

旅人は温かい食事を終えると、しばし椅子に座ったまま考え込んだ。
この山は禁足地。
外は吹雪。
そして、この屋敷の主は――竜。

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(……このあと、どうすれば……?)


ふと、背後から気配がした。

振り向くと、鍛冶場から出てきたウロボロスが、静かにこちらへ歩いてきていた。
炉の光の残滓を引きずるように、彼の肩に淡い熱が揺らめく。

旅人はようやくまともに向き合うことになる。

近づいてきたその姿を見て、旅人は息をのんだ。

ウロボロスは人間の青年としての姿を取っている。
だが、こうして真正面に立たれると、まず目に入るのはその背の高さだった。
旅人より頭ひとつ、いや二つは高い。

そして、意外なことに――
彼の髪は白銀ではなく、炉の光に照らされて黒く艶めいて見えた。
長く伸びた髪を結わえており、横顔のラインはどこか中性的で、どこか女性的な柔らかさがある。

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(……美しい……)


その言葉が旅人の胸に浮かんだのは、自然なことだった。

ウロボロスはしばらく旅人を観察するように見つめ、ふっと眉を和らげた。

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「食ったようだな。顔色が戻ってきた」


低く穏やかな声。
怒りも苛立ちもなく、ただ事実だけを確かめるような言い方だった。

旅人が思わず姿勢を正すと、ウロボロスは少し首を傾げる。

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「……そんなに緊張することはないぞ。別に喰ったりはしない」

軽く笑ったその瞬間、先ほどまで影の竜として響いていた声と、人型の声が重なって聞こえた気がした。

確かに同じ存在なのだ、と旅人は思う。

ウロボロスは歩み寄り、自身よりずっと小柄な旅人を見下ろすようにして言った。

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「さて……お前さんは、これからどうしたい?」


まるで、旅人の心の中をそのまま聞いてきたような問い。

旅人は答えに詰まり、視線を泳がせる。
するとウロボロスは、ゆっくりと手を前に差し出した。

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「焦らずともよい。ここにいる限り、お前さんの身は安全だ。 ……庇護というやつだ」

その表情は、竜らしい威圧ではなく、どこか人間よりも人間らしい、柔らかな優しさだった。

旅人はようやく、胸の奥にあった恐れがほどけていくのを感じた。

ウロボロスは旅人の前に立ち、炉の名残を帯びた黒髪を揺らしながら言った。

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「外はあいにく吹雪だ。出るにも……出られんだろうな」

その声音は淡々としているが、どこか気遣いが滲んでいる。
旅人はうつむき、小さく頷いた。

ウロボロスは続ける。

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「よほど国が傾くような大事でも起きんかぎり、
 好きにこの屋敷で過ごすといい。
 お前さん一人が居座ったところで、俺の暮らしは何も変わらん」

旅人が驚いたように顔を上げると、ウロボロスはかすかに口角を上げた。

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「それとな……お前さんのような魔力を持たぬ人間が書斎に入ったとて、何も起きん。
 呪いもしなければ、爆ぜたりもしない。……まあ、死ぬことはないだろう」


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「……死ぬことは、ない……?」


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「ふふ、冗談だ。だが好奇心はほどほどにな。
 あの部屋には封印された古い言語の本もある。読むだけなら害はないが、触るなとは言わんが
……まあ、触りすぎるな」

軽い調子だが、忠告の響きは確かだ。

ウロボロスは歩みを転じ、窓の外に目を向ける。

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「屋敷の外には凍った池がある。
 氷は厚いが、歩くのは推奨しない。舟でなら渡れる。
 池の真ん中に、小さな遺跡のような場所があってな……」

彼は思い出すように目を細めた。

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「そこは見てもいい。
 お前さんの好奇心を満たすには、ちょうどよいだろう」

旅人は緊張を忘れ、少し興味を覚えた。
ウロボロスは続ける。

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「だが洞窟には行くな」

声に、さきほどよりも強い調子が混ざった。

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「迷いやすい上に、足場が凍っている。
 モンスターと遭遇はしないが……油断すれば落ちて骨を折る。
 どうしても行くというなら、ランタンと皮袋くらいは持っていけ」

それから、ふと微笑む。

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「……宝石には興味があるか?
 洞窟の奥にはいくつか転がっている。拾う程度なら構わん」

旅人は思わず目を輝かせる。
ウロボロスはその反応に、少しだけくすりと笑った。

長命の竜人が、ほんの少し楽しそうにしていた。

ウロボロスは、旅人の様子をひととおり見届けると、ふと思い出したように指を鳴らした。

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「ああ、そうだ。屋敷の裏手に畑がある」

旅人は首をかしげる。
この吹雪の霊峰で畑、というだけでも不思議だが、ウロボロスは気にした様子もなく続けた。

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「動物も飼っている。
 ……もっとも、刺激が少ないせいか、やたら懐いていてな」

少し呆れたような、しかしどこか楽しげな口調だった。

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「裏に行けば、牛や山羊にべろべろ舐めまわされるだろう。
 嫌なら少し距離を置け。特に白い大山羊はしつこいぞ」

旅人は思わず吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。
竜人が言う危険とは別の意味での注意らしい。

ウロボロスは肩をすくめる。

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「さて……汚れた服だがな」

旅人が着ている衣は、遭難の最中に雪にまみれ、泥も凍りついている。
ウロボロスはそれを指して、あっけらかんと言った。

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「風呂がどこかにある。好きに使え。
 俺は必要ないが――お前さんは人間だからな」

その言い方は雑だが、不思議と嫌味がない。
長く孤独に暮らしてきた者の、本気で気にしていない素の態度だった。

旅人が「どこかにある」という曖昧さに一瞬不安になると、ウロボロスは軽く笑う。

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「探せばすぐ見つかる。
 まあ、この屋敷は広いが……迷っても死にはしないさ」

最後に、ひと呼吸置いて言う。

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「――とまあ、大雑把だが、屋敷の説明は以上だ」

ウロボロスは腰に下げた布で手を拭きながら、ふっと眼差しを和らげた。

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「しばらくは吹雪も止まん。好きに過ごすといい.」


◆◆◆

旅人は胸の奥で、安堵と不思議な温かさが混ざり合うのを感じていた。
竜の庇護とは、もっと厳しく冷たいものかと思っていたのに――
この屋敷の主は、想像以上に人間くさく、そして優しかった。

旅人が食卓から離れ、屋敷の中を慎重に歩き始めた頃――
ウロボロスは鍛冶場へ戻るため、廊下をゆっくりと歩き出していた。

その背に、ふっと影が寄り添う。

壁に映るウロボロスの影が、独立した意志を宿したかのように揺らぎ、
尾を低く構えた竜の形へと、警戒を孕んだ動きで静かに変わる。

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「……ニィルファ」


影の竜が低く呼びかける声は、人型のウロボロスには届くが、旅人には決して聞こえない。
その声音には、わずかな緊張が滲んでいた。

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「人間……あの者なら、武器を持ち出す度胸はないだろうな。
 せいぜい――周囲をうかがいながら、観光めいたことを試みるに違いない」

ウロボロスは歩みを続けつつ、軽く片眉を上げる。

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「観光。よく言う……」

影の竜は、なおも周囲に目を光らせたまま、低く続けた。

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「今回の吹雪は、東と西の両面から吹きつけている。
 あと二日は続くだろう。
 雪の質は――水分が多く、重い。
 人間の軽装備では、この山を降りるのは不可能だ」


ウロボロスは短く「ふむ」と返し、鍛冶場の扉へ手を伸ばした。
その背後で、影は主を守るように形を引き締め、なお警戒を解く気配を見せなかった。

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「……そうか。まあ、目を光らせるに越したことはないがな」


影の竜はその言葉に、瞳を細めた。
その光は、屋敷の彫像の瞳と同じ、淡い青の揺らめき。

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「ああ、わかった。
 お前さんが鍛治に集中できるよう、屋敷全体を見てやろう。」

ウロボロスは、わずかに笑みの気配を見せた。

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「頼んだ。……俺は仕事に戻る」

影が静かに揺れて応える。

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「ごゆっくり。人間の相手は、しばらく俺がしておく」

ウロボロスが鍛冶場へと入ると、
扉の向こうから、再びかてん、かてんという槌の音が響き始めた。

影の竜はその音に合わせるように、静かに廊下へ溶け出す――
まるで屋敷そのものが、もう一つの体であるかのように。

旅人はウロボロスの姿が鍛冶場に消えていくのを見送ると、
なんとなく屋敷の裏手へ足を向けた。

外に出ると、吹雪はまだ止まない。
だが屋敷の周囲には魔力の結界があるのか、雪は薄く積もる程度で、柵付きの畑が静かに広がっていた。

その奥、簡素な小屋の近くで――

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「……ん?」

もこもことした影が三つ、旅人のほうへゆっくりと近づいてくる。

大きな山羊。
のんびりした牛。
そして子山羊らしき小さな影。

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「うわっ……!」

気づけば、鼻先を寄せられ、頬をぺろりと舐められた。

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「……あ、あっ……ちょ、ちょっと……!」

ウロボロスの言った通りだ。
どの動物もまるで久しぶりの客に興奮しているかのように、
旅人の身体をべろべろと舐めてくる。

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(……刺激が少ないって、こういう意味か……!)

旅人は半ば押し返すようにして小屋の脇まで避難した。
それでも動物たちは嬉しそうについてくる。

どこか和む光景だった。
ふと視線を上げると、屋敷の奥――凍った池へ続く道が見える。

そこだけ、雪の降り方が妙に穏やかだった。


旅人は動物たちをなだめながら、池の縁まで歩いた。

ウロボロスが言っていた通り、池は完全に凍りついている。
ただし、中央にある小島――

そこに、確かに遺跡めいた影が見えた。

歯車のような石柱。
欠けた円形の祭壇。
青白い光を放つ結晶のようなもの。

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(……あれは、明らかに自然のものじゃない……)

旅人は、舟が岸に繋がれているのを見つける。
古びているが、管理は行き届いている。

その瞬間――
背後から、あの影の竜の声がふっと耳を撫でた。

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「興味が湧いたようだな、人間」

旅人は振り向いたが、そこには何もいない。
ただ雪風が吹き抜けるだけだ。

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「遺跡には危険はない。
 ――だが、触れていいものと、触れてはならんものがある」


声は近くも遠くもなく、池の氷を震わせるように響いた。

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「好奇心を満たすのは構わん。
 ただし、深入りはするな。
 ニィルファがお前さんを助けた努力を無駄にするな」

忠告とも、やさしい叱咤ともつかぬ声音。

旅人は息をのんだ。
足が自然と池へ向かいかけたそのとき――

屋敷のほうから、微かな気配がした。