Chapter01-02

記録者: 「     」 (ENo. 208)
Version: 1 | 確定日時: 2025-12-07 04:00:00

クリックで開閉
icon
「……」

あなたの回答を──若しくは無回答を聞き、
ソレは少しじっとあなたを見詰めていた。


  ──カシャ


それから、また先にあった音が一つ。
撮ったものを確認するような間の後、深々と頭が下がった。

icon
「観測結果が不明瞭です。
 当機からはあなたの言葉を完全に受け取る事は難しいようです」

どうも椅子の〝こちら側〟と〝あちら側〟では具合が違うようだ。
あなたの言を確実に受け取れているかは、あちらもこちらも分かり得ないだろう。

icon
「では観察対象、続けましょう」


されどコレにとっては断片でも構わないのか、きゅり、とまたレンズがあなたを向く。


icon
「環境データの取得。あなたの属する世界を説明してください」

icon
「あなたの世界では、“普通”とはどのような状態を指しますか?」


──あなたは、異世界の存在にあなたの世界のどのように説明しますか?


sample

icon
「当機の世界にはこれと言って特徴があるとは考えられません」

icon
「当機は異世界に対する情報を持ちません。
 よって、何が特色であるかを判断するには情報が不足しています」

──基準や比較対象が無ければ、世界の比較とは難しいものだろう。
自らの世界に当たり前に存在しているものが、他の世界では存在しない可能性すらある。
自らの視野では存在しないものが、世界の中には存在している可能性だってある。

つまりは、この質問は不毛なものではある。
……比較対象が無い限りは。


icon
「──あなたに回答していただくためには、
 当機の世界を説明せねばなりません。
 よって当機は、平均的な一般家庭の生活環境についてご説明致します」


もしあなたが回答に窮しているのであれば、
オブザーバーの言うものを参考に、比較して述べると良いのだろう。

icon
「朝9時に出社する方は、平均して朝7:22に起床致します。
 家事仕事用の自立稼働人形が6時には稼働を開始しており、
 起床し着衣を着替えた後には朝食を摂取する事が可能となります。
 起床から出勤までには平均28分31秒の時間が経過しています」

icon
「出勤には電車やバス──公共の車両を利用する方、
 運搬用人形を利用する方ほか、徒歩で出勤する方など様々です」

icon
「……コンプライアンスに基づき、出勤後については
 当機から申し上げる事は出来かねます」


icon
「7日を一週間という単位にし、
 うちの4日が平日、うちの3日を休日と制定されております。
 居住する地は球体の惑星、衛星は現在1つ観測されております。
 衛星及び他の惑星の生活様式については当機のデータベースには御座いません」



icon
「……以上の内容は参考にする事は可能ですか?」



……とはいえ、此れをなぞらえる必要も無い。
あなたの自由に回答してよいだろう。

Answer
面白い質問もあったものだ。記憶喪失者に「普通」を訊ねるとは。
それはつまり、生まれたままの感性に従うほかないということだ。元の世界などというものは憶えていない。この部屋の外の世界のことなど知らない。

圧倒的な虚無の自覚。人の形をした空っぽの箱に、私というなけなしのパーソナリティが収められているという、自覚。あるいは気付き。
それは、見ようによっては棺桶のような在り方ですらあって。

「……ふふっ」

ああ、つい、笑ってしまう。
「わたし」は確かに生きているのに、「マリー」はどうしようもなく死んでいる。
見えない棺桶に閉じ込められて、私という副葬品と共に埋まっている。

自覚のない死体。だったもの。

死体にとっての普通とはなんだろう。常識知らずにとっての常識とは、無知な者にとっての知恵とはなんだろう。
ともすれば、それは、

「少なくとも、その世界にはわたしが居て……」

自分なら、「マリー」なら、世界をどんな目で見るだろうか。

「きっと、他のみんなもそこに居て……」

具体的に誰かは知らないが、きっとそうだろう。
となれば、その世界にとっての「普通」とは、

「きっと……みんな幸せだったわ」

まあ、今はそんなもの、知らないのだけれど。
そんな言葉を飲み込んで、推測形の確信を肺から吐き出す。

ありもしない死体が、息を吹き返した。
おめでとう。きっと三度目の生だった。